愛着障害という言葉が聞かれるようになりました。DSM-5にも記述されている、心理的な課題の一つです。アダルトチルドレンやパーソナリティ障害、心理的葛藤の「震源地」であると論じる向きも少なくありません。
心理的な課題はどのようなものであれ解決が簡単ではないため、来談する方にはカウンセリングに対して過剰な期待をお持ちいただかないよう心がけています。しかし、母娘関係(もしくは毒親)に端を発する愛着障害に限って言えば、少しだけ例外的な見通しを持つことができます。とりわけ青年期という、まだ「書き換え」に対して柔軟な時期に取り組むのであれば、カウンセリングはかなりの確率で、暗いトンネルを抜けるための一筋の光になり得るから、「共に取り組んでいきましょう」と呼びかけることができるのです。
ここで、ある一人の女性、Aさんの事例を引いてみましょう。
Aさんは、大学生でしたが、小柄、細身なせいか幼く見えました。これは体格だけでなく、内面において「成熟すること」を拒絶する精神的な未分化さが、所作にまで表出している結果でもありました
。色白な肌と相まって、一見すると「育ちの良いお嬢さん」という記号を完璧に演じている。常に周囲の顔色を伺い、相手の気分を害さないよう、愛想のよい仮面をぴたりと張り付かせている、そんな佇まいでした。
彼女の家庭環境は、少なくとも外から見れば、現代日本の典型的な「幸福のモデルルーム」でした。父は仕事一筋で、十分な稼ぎを家に入れることで「父親の義務」を免罪されたと考えている。泥のように疲れて帰宅した後は、妻という「面倒」を避けるばかりで、娘を守り向き合うことはありませんでした。
一方の母親は、Aさんを世間から褒め称えられるような娘に育て上げることによって、夫との情緒的な繋がりの枯渇や、自己の人生の不充足感により目減りした自己価値を補填していました。そこにはAさんの固有の感情に寄り添う、あるいは一人の独立した人格として内面を理解しようとする「親密な他者」としての眼差しは、決定的に欠落していました。
母親の情緒は、等圧線が異常な密度で重なり合う気圧配置のように不安定でした。機嫌が良いときは慈母のようですが、Aさんがひとたび期待のレールから外れようものなら、途端に激情の嵐が吹き荒れる。「あなたのせいで私はこんなに惨めなの」「いくらあなたに投資したと思っているの」という呪詛の言葉を、全人格的な否定とともに浴びせる。一貫性がある教育ではなく、母親の気分によって襲来する理不尽な台風そのものでした。
生き延びるために、Aさんはひとつの生存戦略を選びました。自分の感情というスイッチをオフにし、母の願いを先回りして叶える「良い子」を演じ続けることです。学校においても「パフォーマー」として優秀でした。勉強をこなし、行儀が良く、教員からの評価も高い。しかし、Aさんには若干ではあるものの発達障害的な傾向があり、時折、周囲が首を傾げるような、文脈を欠いた言動が漏れ出すことがありました。彼女は自らと周囲とのずれを隠すことに努めていました。彼女が難関大学に進学したのは、知的好奇心ゆえではありません。学歴や経歴という「供物」を母親にあるいは社会に捧げることで、ようやく自分の存在を許してもらえるという、健気な自己存在の確認の手段だったのです。
しかし、大学という自由な広場に放り出されたとき、その生存戦略は機能不全を起こしはじめます。他者の評価に過敏になって、誰とも深い対話ができない。豊かな関係性を結べない。「本音を言えば見捨てられる」という恐れが彼女の行動を制約していました。一方で、一度気を許し、相手に受け入れられたと感じると、今度はダムが決壊したように過剰な要求を突きつけてしまうこともありました。何人かの男性と交際したこともありましたが、どれも相手を傷つけたり、突然ばさりと連絡をとらなくなったり、ひどい別れ方ばかりでした。そして、繰り返した犯した過ちを「忘却」というフィルターで消し去ろうとする。いや、本当は覚えているのですが、自分の咎を直視すれば、他者に繕ったイメージが崩壊してしまうため、反省はおろか想起することすら身体が拒絶するのです。
一見、配慮に富んだ優しい女性に見える Aさんですが、実のところ、他者を愛していたのではなく、恋愛感情という高揚感を利用して「自分を満たすこと」に埋没していた。厳しい言い方をすれば、彼女の視界には「自分」しか映っていなかったのです。それは幼少期に適切な甘えを保障されなかった子供が、大人になってから歪んだ形で表出させる、遅れてきた幼児的万能感の残滓でした。相手が思い通りに動かないと激昂し、その後で猛烈な自己嫌悪に沈む。彼女はその悪循環の中で、心身ともに傷んでいきました。
やがてAさんは、自分の生きづらさに対し、その原因として自分の家庭は「何かがおかしい」ことに気づき始めます。ネットや書籍をあさり、「毒親」「愛着障害」「発達の偏り」といったラベルを見つけます。しかし、知識を得ても、肝心の「どうすれば楽になれるのか」という問いに対する答えは見つかりませんでした。
ふと、「困ったときには専門家を頼れ」という父の言葉を思い出し、この問題に真摯に向き合うしかないと思った彼女は、カウンセリングルームの扉を叩きました。
そこで彼女が行ったのは、これまで「なかったこと」にして封印してきた感情を、ひとつずつ、身体の外へと「言語化」して取り出す作業でした。人には決して話せなかった、自分勝手な親、打算で生きる自分。さらに、記憶の瓦礫を丁寧に掘り起こして辿り着いた想いがありました。
「私はがんばった。一生懸命がんばった。だから、少しだけ、少しだけでいいから、ただ甘えさせてほしかった。・・・愛してほしかった」
あまりにも素朴で、それゆえに切実な叫びでした。
そして、彼女が導き出した解は、簡潔でかつ力強いものでした。それは「自立」です。親の期待を生きるのではなく、自分の足で立ち、自分の稼ぎで自らの生きる場所を確保する。そのために彼女は、アルバイトで軍資金を蓄え、社会的な知識やスキルを積極的に身につけていきました。そして、就職活動に全力を注いだ結果、Aさんは自身の希望していた企業への就職を実現させます。
社会人としての門出と同時に、彼女は「家族」という地場を離れ、一人暮らしを始めました。自分の力だけで維持される静かな空間に身を置いたとき、彼女を包み込んだのは、生まれて初めて味わう深い「安堵感」でした。「ただ一人でいること」が、これほどまでに平穏をもたらすものなのか。
もちろん、人生に全快などという状態はありません。Aさんは今でも、時には傷つき、時には歓ぶ日々を送っています。過ちを犯すこともあります。それでも、「忘却」に頼ることはせず、都度自分と向き合い、反省し、責任を取る。ひとことでいうならば「大人」になろうとしている。彼女は今、間違いなく自分の足で自分の道を踏みしめ、一歩ずつ、「彼女自身の人生」を歩んでいます。
※本記事は様々な事例を参考にしたフィクションです。
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